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トリニトロン(SONY驚異の技術力!!) [テクノロジー]

以前、KD-32HDF9をご紹介した際にちょっと触れた、トリニトロンについて今回ご紹介したいと思います。

KV-1310.jpg
↑KV-1310

トリニトロンは、SONYが開発したアパチャーグリル方式のブラウン管です。

1968年10月に発売されたトリニトロン搭載テレビの初号機"KV-1310"は、それまでのカラーテレビの常識を覆す程の画質を誇示しました。

話は遡ります。創業者井深大氏の「これまではラジオの時代だったが、これからはテレビに重点を置いていかなくてはならん」という号令の元、SONYの技術陣はポータブルテレビの開発に取り組み、1960年5月にTV8-301を発売。更にはマイクロテレビTV5-303が開発されようとしていました。

しかし、それらは所詮白黒テレビであり、井深氏をはじめSONYの技術者たちはカラーテレビの開発を望んでいました。

カラーテレビの開発は白黒テレビ開発直後から行なわれており、この頃になると米RCA社が開発したシャドウマスク方式の三電子銃カラー受像ブラウン管というブラウン管が多く用いられていましたが、このブラウン管は値段が高い上に調節が難しく、故障が多いという欠点がありました。

また、白黒に比べて暗く、色ズレが起こりやすいという欠点もあり、白黒テレビに比べて効果な割に品質が悪い事がカラーテレビ普及を遅らせる要因になっていたとも言われます。

SONYの技術陣は、「折角カラーをやるなら品質の悪いシャドウマスク方式ではなく、新たな技術で挑みたい」と思い、シャドウマクスに代わる技術を探しはじめました。

そんな折、1961年3月にニューヨークで開催されたIREショーで米ノーベル物理学賞受賞者、E・O・ローレンス博士が開発した『クロマトロン』を彼らは目にします。

クロマトロンは、今までに見た事も無い程明るいカラーディスプレイ(シャドウマスク方式の約6倍の明るさ)を持つもので、「これこそ、SONYが求めていたものではないか?」技術者の木原氏はそう思ったそうです。

それもそのはず、クロマトロンは元々戦闘機などに搭載されるIFF(敵見方識別信号)を表示する軍用品であり、いわば特注の表示デバイスだったのです。

しかし、SONYはクロマトロンをシャドウマスク方式に代わる技術として、開発、製造する事を選択します。

クロマトロンの一番の特徴は細い針金を編んだ様な構造の『カラースイッチンググリッド』で、1つの電子銃から出た電子ビームがグリッドに達すると、針金の隙間で絞られ、それを通りぬけると絞られたビームは所定のRGBの蛍光体に向かって照射されるというものでした。

この方式だと、電子ビームの実に80%以上が利用でき、非常に明るい画を出す事が可能という優れた技術ではありましたが、さすが軍事用、非常に高価な上に構造が複雑で製造が非常に困難でした。

1964年9月に一応完成し、クロマトロン方式カラーテレビを発表したものの、高価な上、故障が多く、大量生産は技術的に困難だった為、なかなか製品の発売が出来ないでいました。

それは、不屈の精神を持つ井深氏でさえ「もう一度シャドウマスク方式を検討する必要があるのでは」と考えた程、製品開発が滞っていたと言われています。

そんな1966年の有る日、ブラウン管関係の技術を担当していた吉田進氏が米RCAを訪問したところ、シャドウマスク方式も技術進歩を遂げており、画面が格段に明るくなった製品が開発されていた事に酷く驚きました。これは、蛍光体の材料をそれまでの硫化物から希土類に切り替えた為でした。

しかもRCA社は月産2万台の量産ベースに乗っているという状況。クロマトロン方式が月産1000台に満たない事を考えると吉田氏は愕然とする思いだっだそうです。

帰国した吉田氏はRCA社の状況を報告し、「1966年中に量産の目処が立たなければクロマトロン方式を諦め、シャドウマスク方式に切り替える事を考えなくてはならないでしょう」という言葉に、いよいよSONYの経営陣もシャドウマスク方式への切り替えを考えざるをえなくなりました。

しかし、そう報告した吉田氏自身からにして「今更RCAの軍門に下りたくない」という思いがありました。「クロマトロンに関わった人たちの5年間の努力を無駄にしたくない」「何とか現状を打破するアイディアは無いものか」そうした焦りが焦りを生むような日々が続いた、とある日「単電子銃にビームを3本走らせられないだろうか?」そう考え、早速シャドウマスク方式のブラウン管に組み込んでみたところ、結果は上々。

しかし、「折角この新しい技術を用いても、シャドウマスク方式に組み込まれては、目立たなくなってしまう。それどころか、クロマトロン方式の失敗が強調されてしまう?」そう思うと、また技術者の頭を悩ませました。

ところが、それを打破するアイディアがもたらされました。吉田と同じくブラウン管関係の技術を手がけていた大越明男氏がアパチャーグリルの概念に到達したのです。

アパチャーグリルとは、薄い金属板に写真科学的に細い縦孔を沢山並べたもので、枠にピンと張った構造を持っています。

電子ビームの透過率は20%で、シャドウマスクに比べて5%も明るく、しかもすだれ状の構造を持つクロマトロンにも似ていました。

アパーチャーグリル方式.jpg
↑アパチャーグリル方式ブラウン管拡大図

しかし「これはいい」と思ったのも束の間、実用化の段階で問題が発生します。アパチャーグリルの金属テープが振動してビームの狙いが定まらず、色ムラが生じてしまったのです。

ピンチになった大越氏でしたが、それを救ったのが井深氏のアイディアで、タングステン線を横に張って振動を止めるという実にシンプルなアイディアでしたが、これで確実に振動が止まりました。

SONY製のブラウン管テレビをお持ちの方なら経験が有るかもしれませんが、SONY製ブラウン管を試聴している際、輝度が高い画が映し出されている時、細い黒い線が横に走っているのを見た事はないでしょうか?

小型テレビでは中央に1本、大型テレビやハイビジョンブラウン管では画面の上下に1本ずつの2本。これが、井深氏のアイディアによるタングステン線(ダンパー線)です。

こうして新しいブラウン管が完成しました。

完成時、研究室でプロト機を組み上げ、実際に画を映した際、その場にいた人は皆、その美しい色、明るい画面を食い入る様に見て、誰一人言葉が発せられなかったと言います。

完成の知らせを聞き、駆けつけて来た井深氏も「皆さん、ご苦労さんでした・・・」というのがやっとだった程、感無量だったそうです。

この新しいカラーテレビに命名されたのがトリニトロンでした。キリスト教のトリニティ(三位一体)とエレクトロン(電子管)を合わせた造語です。

こうして開発されたトリニトロンブラウン管は1968年4月15日に銀座のSONYビルで発表会が行なわれ、同年10月には冒頭でご紹介した初号機、KV-1310が発売となったわけです。

その後、このトリニトロンの技術はその映像の優秀さから米国エミー賞を受賞、その後20年余りの間SONYを支え続ける事になりました。

1980年代には民生用テレビだけではなく、高解像度が要求されるCAD/CAM用のコンピューターディスプレイや、放送業務用モニターの販売。コンピューターメーカー向けの外販も始まり、トリニトロン管の生産台数はうなぎ登りでした。1990年代にはアメリカの航空管制システムの表示デバイスとして採用、更にハイビジョンブラウン管も開発され、1995年になる頃にはSONYのブラウン管テレビは家庭用テレビの世界シェアナンバーワンのシェアを占めるまでになりました。

そんな、トリニトロンブラウン管も、世界的な環境保護対策の推進、大型化、低価格化が用意な液晶テレビの台頭という時代の波には勝てず、2008年3月を持って完全に生産が終了となりました。結局1968年から2008年までで累計2億8000万台も出荷したそうです。

トリニトロン管の生産終了は、もの悲しいニュースでした。SONYの一時代の終了が告げられた気がしたからです。

2009年現在、SONYはテレビ市場において、海外では韓国サムソンやLG、国内ではシャープ、東芝らとシェア争いに凌ぎを削っています。それは一重に、液晶テレビやPDPにはトリニトロン管の様な圧倒的な画質差を生むキーデバイスが存在せず、ある程度の品質を持ったパネルや画像処理エンジンを搭載すれば、そこそこ良い画質の製品が出来てしまう事に由来します。

現在、SONYは薄型テレビ市場において殆どが液晶デバイスを採用し、1製品のみ有機ELデバイスを用いた製品を発売しています。今後、普及価格帯の製品にもバックライトにLEDを採用した液晶テレビが発売されると言われていますが、その程度ではサムソンやLGにキャッチアップするのがやっとだと思います。

個人的には、画質面で劣る液晶や、大型化が困難で歩留まりの悪い有機ELに代わる表示デバイスをSONYが開発、生産し、再び「テレビのSONY」と言われる日が来る事を望んでいます。




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